たかくんの成長

大学1年生、たかくんの成長を綴ります。学習記録や学生生活に関することが多いと思われます。

【読書メモ】「読書論」小泉信三著 を読んだ。

  1. 本の内容
  2. 何故読んだのか
  3. 内容についてのアレコレ

 

読書論 (岩波新書)

読書論 (岩波新書)

 

 

1.本の内容について

この本はいわゆる読書論を取り扱ったものであり、全10章で構成されている。初版は1950年で、著者の小泉信三さん(1888〜1966)は慶應義塾大学政治学科卒業、同学科教授を経て塾長となった方である。(らしい)

 

2.なぜこの本を読もうと思ったのかについて。

大学生となってある程度時間の余裕も出来たので、(ありがちな)本をたくさん読もう!と思い立ち、いわゆる名著と言われているものを(例えばマルクス資本論であるとか)本屋で手に取ってみたものの、文章の量も多く、内容も非常に難解で、コレはきっと途中ですぐ挫折するに違いないと悟った。ので、そこからそもそもの何のために本を読むのかというところに疑問を抱いたからである。(あいまいだ)もちろん実利的な(読めばすぐ効果が出るという)意味で、読書に意味は大いにあるとというのは分かる。例えば受験生という立場から言えば数学の勉強の仕方という本を読めばそれはそのままお受験の点数に結びつくだろうし、料理本を買ってその通りに料理を作ればまず間違いなく美味しく料理を作れるだろう。(それはそう)なのでそういう近視眼的な考え方からすれば、読書には利点がイッパイ〜。なのは間違いない。

 

だがそこで、例えば古典的な名著(さっきもいった資本論であるとかシェークスピアのなんたらだとかアダムスミスの国富論であったりとか)を読んだとして、それも非常に苦労して読んだとして、それでどうなるのだ?という非常に素朴な疑問が湧いてきた。そもそもの読書について知りたくなったのである。(ふ〜ん)

 

 

3.内容についてのアレコレ

 

第1章は「何を読むべきか」というタイトルになっている。

 

ここで著者は、読書の方針は自ら見いだすことが大切だと言った上で一般方針として古典的名著を読むことを勧めている。(へえ)そしてその次の段落で、古典といってもそれは古い書物という意味に限らず、第一流の標準的な物という意味でも使われていると説明している。ここでの古典的の意味は後者の方であるとも。

つまり古典的名著を読め、とは第一流の標準的な書物を読めということになる。(ほう)

 

そして次に、読書の利益について触れている。(キタ)ここではボクが上で書いたように、すぐに役立つ本と(さっきの料理本とか)すぐには役に立たない本(古典など)に分けて考察している。

 

そんで、読み進めているウチに、どんな分野どんな世界でも通じる至言を見つけた。著者は工学博士谷村豊太郎氏のその発言を引用して、読書論に絡めている。その言葉が、コレ。

 

「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ」

 

 

この章はまだしばらく続きがあるが、この一文を見つけただけでごっそさんです。という気持ちになれた。この言葉は読書に限らず現代のあらゆる場面に通じるところがあると思う。特にAIが暴れまわる今の時代においては。

 

ただやはり目先の利益につられてしまうところはある、そもそもそういう意識が無ければ素直に本屋で分厚い古典を買っていたハズだからだ。Aの本を読んで習得すればすぐに(ありふれた)知識が手に入る、Bの本を読んでも特に目に見えるものは得られない(しかも特大ボリュームで内容は小難しい)。となるとやっぱり常にAを選びたくなってしまう。

 

だが一度もBの類の本を読まずに語るのも(食わず嫌いする)おかしい話だと思うので、一度は読もうと思っている。(ん〜〜でもな〜〜〜〜、、、という気分)

 

 

 

第3章の語学力という章は今現在英語を頑張ろうとしている自分にとっては面白い章だった。

この章で著者は、読書を存分に楽しむためにはぜひとも一つでも外国語をものにしておきたい、なぜならそれは長い一生から見ると多くの利益と、楽しみを開く鍵をもたらすからである。というような感じのことを述べている。

 

で、す、よ、ね〜〜〜〜という感じで嬉しい。そして1950年の本だけれども、外国語習得において精読と多読の2つの方法の併用を勧めている。(すごい)やっぱり今も昔もやることは変わらないのですねと言う感じ。

 

 

ちょっと書くのに疲れてきたので一旦ここで。大学生はじめに読書についての本を読んでおいたのはその後の読書体験に良い影響を与えてくれるのではないかなと思う。(希望)あとは1章ずつ感想を書こうとしたけどそれは多すぎるので諦めた。

 

ブログになんか文字を書こうとすると、2000文字あたりで一旦限界がくる気がする。自分の場合は。

 

ちなみにボクの読書についての考え方はというと。

本というのはただの情報を書き連ねた紙ぐらいに思っている。でもきっとそれは本質で、例えば学校の体育館で凄く話の面白い人が講演にきてくれたとして、その人の話を皆が食い入るように聞いていたとして、その人のお話一言一句をメモした紙が用意してあったとして。そういう状況があればきっと皆がそのメモを欲しがると思うのだけれど、でも本を習慣的に読むって言う人は少ない。

けれど本質的にはそのメモと本って何も違いはなくて、むしろメモの方は1時間講演したとしても数十ページもあるかどうかだろうけど本は数百ページは当然ある。そして本の方が内容も精査されているしより正確だろう。

 だとするなら講演を食い入るように聞いていた人たちが本(ただの情報の塊)を読まない理由はない。だってそれくらい面白い情報がもっとたくさん詰まっているのだから。もちろん講演を興味ねーやという人たちはそれには当てはまらないけど。

 

なにがいいたいかよくわからないけど、本っていっぱい情報つまってて、オトクだよね。

 

さらにちなみにこうやって読んだ本の感想を書くのはより深く内容を頭に入れるためです。(こんな文章でも2500文字くらいあります。たいへん。)